行政書士の上田貴俊先生(以下 上打先生)とは、上打先生が大学を卒業するかしないかのころに出会いました。
僕はそのころ西麻布でダイニングバーを経営していて、アルバイトの採用をしていたところ面接に来たのです。
最初の印象は身ぎれいで受け答えもそつがないし、言葉を選んで丁寧な対応をする好青年でした。
もちろんその印象は今まで変わることなくいるのですが、そのころは線が細いというかいろいろと気にしすぎなところがあって打たれ弱いんじゃないかという心配があったのです。
しかし、そういった線が細い印象は実は上っ面で、うちに抱えたものは大胆で突拍子もないことを平気でする人だったのです。
上打先生は大学を卒業するとなぜかカナダを皮切りに世界一周旅行の旅に出て、帰国後は自分がやりたかったお笑いの世界に入るなど、とにかく自分のやりたいことを追求する(というかあがいた結果やりたいことにたどり着く)道を選びました。
お笑いの世界はなかなか厳しく、何度かステージも見させていただきましたが本人の熱意とは裏腹になかなか結果がついてこないという印象を受けていました。
そうこうするうちに、上打先生にとっては自然な流れだったのかと思いますが、「行政書士の試験を受けたい」と急に相談をしてきたのです。
まだお笑いの世界に入って短かったし、後悔しながら試験勉強をしてもダメだと思ったのですが、もう少し話を深く聞いてみました。
実は上打先生は初対面のアルバイトの面接のときに「将来は行政書士の試験を受けたい」と言っていたのです。そして、それなりにお笑いの世界を知って自分との相性とかを考えぬいた結果出した結論だと説明したのです。
僕はこの段階で試験に受かる確率は半分くらいで、3年以内に合格すればいいかもしれないけど、それでだめならあきらめろと言おうと思っていました。行政書士試験はそんなに生ぬるくはないからです。
試験勉強のテキストと勉強方法をかるくおしえて、あとは上打先生の頑張り次第だというところですでに試験まで8か月に迫っていたと思います。
上打先生は法学部出身ではないし、法律用語を覚えることから始めなくてはいけないので最初は大変だったと思います。
事実、夏の模擬試験では散々な出来で、結果を僕に報告するのも拒んだくらいにコテンパンにやられたと後で聞かされました。
しかし、そこからの追い上げはすさまじく、(予備校には通わず独学でしたが)ほとんどの予備校の模擬試験を受け、最終的には合格ラインの一歩手前まで到達するようになったのです。
本試験は・・・
本試験は手ごわく、手ごたえを聞いて僕は「また来年頑張ろう」と声をかけていました。
合格率が一ケタなのでもともと初年度は受かる見込みは少ないと考えていたのです。
しかし、結果はみごと合格。
ほんの少しの運の部分もあったかと思いますが、すべては上打先生が自力で勝ち取った実力の結果です。試験にのぞむ集中力は本当にすさまじいものがありました。
どうしよう・・・
僕は飲食店を辞めようと決断したとき、つぎは最終的に一人で完結できる仕事をしようと考えていました。
上打先生が行政書士試験に受かったので正直に言えば大部分の「うれしい」という気持ちと少しの「気持ち的には一緒に事務所をやろうということになるけど、当初の予定と変わってくるなあ」という気持ちがありました。
実をいうと共同経営は過去に経験して、大変さを身をもって知っていたのでその怖さもありました。
ですが、いろいろ考えるべきポイントはありますが、僕はたいして悩まずに「一緒に事務所をやろう」と話しました。
上打先生の人間性のすばらしさはわかっていましたし、すでに長い付き合いだったので気をつかわずにいられることもありがたいです。
僕の集客方法はweb集客ですし、上打先生が選ぶ業務は介護分野と建設産業だったのでかぶることもなさそうだったので一緒にやりやすかったです。
また、上打先生はコツコツとサイトを育てていたので比較的早くから集客に困ることがなくなりました。
共同事務所
これはおべっかでも何でもなく、僕は上打先生と共同事務所をやって本当によかったと思っています。
共同事務所とは言っても、一つの部屋の中で二人の独立した行政書士が業務をするというスタンスです。ですので売り上げとかの管理も別々ですし、そもそも上打先生の売り上げも知りません。
上打先生は「介護の↑打になりたい」と目標をたてています。
もともと素直で相手の気持ちを考えるやさしさがあり、弱者の気持ちがわかりますので行政書士業務の中でも介護業務は向いていると思います。
近い将来、↑打先生が介護業務で知られることを確信しています。