前場亮
1973年7月11日生まれ O型
行政書士前場亮事務所代表。行政書士。
株式会社ワインブックス代表取締役社長
インターネット集客が得意で
狙った商用キーワードはほぼ100%上位表示をさせる。
複数のネットメディアの運営者でもある。
2014年10月まで西麻布・六本木で飲食店も経営。
30歳の時にソムリエ全国大会
(第3回キュヴェルイーズ ポメリーソムリエコンテスト)
で優勝。
ワインの総合メディアサイト「ワインの教科書」の管理人
仕事
運営サイトのご紹介
全てのサイトは業界内で強い影響力のあるサイトです。
SEO(検索エンジン最適化)は得意でほぼ100%の精度で狙ったキーワードを上位表示させています。
おそらく関係者の方であればほとんどの方は私のサイトを訪れているはずです。
インターネットは得意でサイトはすべて自分で作成しています。
風営法
運営するサイトでは最も早くから運営しているサイトです。
ナイトビジネスやカフェ、バーなどの許認可は得意な分野です。
許可取得のみならず、営業開始後のコンサルタントも多数承っています。
道路法(特殊車両通行許可)
大型車が一般道路を通行するときの許可です。
これはウェブマーケティングでの需給のバランスから手がけました。
このサイトもほとんどすべての商用キーワードで上位表示がされています。
航空法(ドローン)
ドローンは2015年末に航空法の適用になりましたが、当初より業界を代表するサイトとして多くのユーザーに支持を受けています。
この種のサイトの中では、おそらく日本で最も多くのPVを集めています。
士業向け開業のコンサルタント
もともとは個人的なSEOの知識の備忘録だったのですが、いつの間にかコンサルティングサイトとしていっぱしの知名度をいただくようになりました。
このサイトも影響力が強いです。
(現在は新規のコンサルタントを休止中です。)
趣味
趣味はカメラ、シガー、旅行です。
カメラはニコンのミラーレス一眼レフを使っています。
人生の90%を仕事に捧げているので、趣味のモチベーションはおとなしめです。
ご挨拶
前場亮に興味を持っていただき、ありがとうございます。
僕の仕事は二つあります。
ひとつは行政書士という法律職です。この仕事は主に行政と依頼人の各種許認可の代理を行うことや、依頼人とその相手との間で書面上の事実関係の確認をする仕事です。
少し難しい表現ですが、簡単に言えば、許認可の申請を代理したり、難しい法律の文章を依頼人に代わって作成する、というものです。
許認可申請では、主に航空法や風営法、道路法が得意です。民事も得意で離婚や相続、交通事故などの一般的なものも受けていますが、現在は民事に関してはご紹介の方のみとなっています。
がその実務となっております。すべての業務に対して専門サイトを運営しており、業界内で高い評価を得ております。おそらくこれらに関するサイトとしては最も多くのアクセスを得ているものと思います。
もう一つはワインのECサイトを運営する株式会社ワインブックスの経営です。
ECサイトは社名のまま”ワインブックス”といいます。
また、ワインの教科書というメディアサイトも運営していて、これもおおくのPVをいただいています。
実は2014年の秋まではずっと長いこと飲食店を経営していました。高級イタリアンから大衆的なビストロ、パーティー専門店やケータリングも手掛けていたことがあります。
そして、意外に思われると思いますが、ワインは得意で第3回キュヴェルイーズポメリーソムリエコンテストというソムリエの全国大会で日本一になったこともあります。
僕は人生において、挑戦するということ以外の道をしりません。
高校を卒業し、飲食業界の道に入った時も、ソムリエコンクールで全国優勝した時も、行政書士事務所を開業した時も、インターネットのメディアサイトを立ち上げた時も、深く考えて実行したのではなく、ただ単純に挑戦する対象がほしかったから挑戦したのです。
そして、いままで挑戦したそれぞれの道で様々な人と出会いました。また、ある程度の結果を残してきました。ですが、僕の中にそこで安心してしまったり、安定を求めたら自分が自分じゃなくなる、そういう思いが沸き起こってきて次のことに挑戦しようと決断するのです。
「ずいぶんなきれいごとに書いている」と思う人もいると思います。つづけることのほうがよほど難しいかもしれませんし、もっと深く追及しろよと思う人もいると思います。
ですが、それぞれの道ではある程度の期間をかけましたし、結果が出るまでは我慢もしました。ここでは避けますが失敗もしました。
ここでは、挑戦というキーワードから順に、僕が重要に考えていることを皆さんにお伝えしようと思います。
挑戦するということ
僕自身のことを説明しようとするときに、挑戦という言葉を抜きには何も説明できません。
僕にとっては日々は挑戦の連続であって、それは常に自分自身が守りに入っていないか、保身に走っていないかを問うということです。
僕は何かを決断するときに、常に「今日が人生最後の日になるとしたら、今の毎日を選んでいるか」と自問します。
あなたにも質問しましょう。あなたは明日、最後の日を迎えるかもしれないという日なのに、今日を今までと同じ一日として過ごしますか?
誰しも最後の一日を後悔しながら迎えたいわけがないでしょう。もちろんあなただって同じだと思います。しかし、確実に最後の日は近づいているのです。
もちろん、新しい挑戦をする、ということは、それまでの生活の基盤を見直すことも必要です。
生活の基盤を壊すことなく新しい挑戦をすると、その挑戦その物にかける力が分散されてしまいますので他者との競争に勝てません。
生活の基盤を見直すということは、大なり小なり他者に迷惑をかけることになります。僕自身もある程度の責任を背負っています。
2014年の11月、僕はそれまで経営していた飲食店から完全に離れました。
飲食店を経営していて従業員や取引業者をのこして勝手に別の世界に挑戦する、なんて簡単にはできません。
しかし、ここでふみとどまっていると、現状の維持のためにいつまでたってもやりたいこともできません。自分の中ではすでに重要でない仕事をすることになります。
散々悩みぬいて決断したのであれば、しっかりと時間をとり、周囲にきちんと筋を通し、実行するのです。
実行はできても筋がとおせなったり、あるいは筋が通らないから実行できない、こういう人は、案外多いのではないでしょうか。
前へ踏み出す勇気と踏みとどまる勇気
人生、誰しも悩みの連続であり、 自身のこと、他者との事で路頭に迷うことはあると思います。
人間関係かもしれませんし、仕事関係かもしれません。
悩んだときに人間が取る決断において、前に踏み出す(新しい事に挑戦する)ことも勇気なのですが、同時に踏みとどまる、すなわち踏み出さない、ということもまた勇気なのです。
たしかに前に踏み出すほうが耳触りはいいし、応援したくもなるかもしれません。ヒロイズムを感じるときとは、前に踏み出す時がピークでしょう。
しかし同時に「その局面が果たして挑戦する局面なのか」ということも考察しなければなりません。
いってみれば大胆さと慎重さ、と表現することもできるでしょう。これは仕事においてもプライベートにおいても同様です。
大胆さのない人生は安定こそすれど、面白みに欠けますし、せっかく一度しかない人生の醍醐味にかけるとも言えます。
10代の方であれば小学校、中学校と卒業し、スライド式で大勢の人が自動的(強制的に)に進級するためあいまいになっていますが、社会に出ればそんなおせっかいは誰もしてくれません。
自分で決断して手をあげない限り誰も救いの手は差し伸べてくれないのです。
大企業や公務員であれば役職があり、大勢の人がスライドするためピンボケしていますが、これはそれまでの画一的な人生設計に対して疑問を持たない層にとっては居心地のいいものかもしれません。
しかし、20歳からの40年間を他人の船(企業)に乗って身を任せることにぞっとする人は少なくないはずです。
そのため大胆な人生を歩んでいるほうが一見すると勇気のある選択のような気がします。僕も大胆さを重要視してこれまで歩んできました。
しかし、大胆さと同時に、いやそれ以上に踏みとどまる勇気-慎重さ-も重要です。
あまり早く踏み出してしまうとこらえ性を持てなかったり、もう少し続ければ得られたであろう本質を知らずに次に進むことになります。
残酷なことですが新しいことをしようとしても、その才能がなかったということもありえます。
最悪な場合、踏み出すタイミングを間違えて取り返しのつかない失敗をすることもあるでしょう。
準備不足で踏み出したために思ったような結果が得られず「今までのほうがよかった」と後悔する事も考えられます。
こういう僕も、判断ミスで後悔したこともありますし、やらなきゃよかったと思ったこともあります。しかし、僕が唯一恐れているのは取り返しのつかない失敗であり、それ以外の失敗は挑戦する人生を選択したのであればつきものです。
失敗をしない唯一の方法は、挑戦しないことしかないのです。
自分の時間を他者に支配させない
30歳までの人生の黎明期においては、吸収する局面のほうが多いため、自分以外の他者に合わせることも重要です。
自分よりも視野が広く、能力も高い人がほとんどなので、得られるチャンスを逃すのはもったいないからです。
しかし、職業人としてある程度の経験と知識を積み、自身で判断できるようになった段階で重要なことは、自分の時間を自分で支配する、ということです。
あなたの日々接している人たちは、あなたにとって本当に重要な時間を提供していますか?くだらない時間だとしてもこんなものなんだとあきらめていませんか?
時間は1度過ぎてしまえば二度と戻りません。
その時間をわくわくするものにするか、退屈なものにするかは最終的に自身で判断するしかありません。
一見すると退屈な時間のように感じても、実は奥深いものだったということもあります。
逆に自分では充実した時間を送っていると感じたとしても、価値観の変化によりとんでもない無駄な時間を過ごした、と考えることもありうるからです。
自分の中に価値基準を持つ
僕もそうでしたが、おそらくあなたも、学校で教わる授業やテストでは正解と不正解があって、正解は○、不正解は×、正解の数で点数が決まる教わり方をしてきたのではないでしょうか。
これは学校教育にも問題があって、このような教わり方をされているので仕方のない面もありますが、つまり正解とはこうだ、不正解とはこうだという教わり方をされているので、知らず知らずのうちに自分でよく考えもしないで正解・不正解の形が出来上がってしまっているのです。
これは何も勉強やテストだけではありません。
勉強ができることがいいことだ、偏差値の高い学校に行くことがいいことだ以外にも、お金持ちのほうがいいに決まっている、高価なブランドの服を着ているほうがいいに決まっている、そのような常識を、まだ判断基準を持たないころから押し付けられているので当然疑問を持たずにそれを受け入れます。
この習慣が染み付いてしまうと、人間を自分の物差しで測ることができないので、たとえ偏差値の高い学校に行けて満足しても、さらにその学校のなかでの成績が気になります。
その学校で成績が良くていい会社に就職しても、そのなかでさらに業績が気になります。つまり自分で自分の良しあしを判断するのではなくて他者の目で自分を判断してしまうのです。
さきほど学校教育には正解と不正解が用意されている、といいましたが、では、実際に社会に出てみるとどうでしょうか。
白であってもどこかに黒が混じっていたり、黒であってもとらえ方によっては白であったりすることもあるでしょう。
勝負ごとにおいて卑怯な真似をして勝利を収めた、ということがわかりやすいでしょう。
勝敗にこだわれば卑怯な真似をしてでもその勝利が必要だったという見方であれば白かもしれませんが、卑怯なまねそのものを嫌悪する人からすればそれは黒です。
どれだけ素晴らしい肩書を持っていても、心の根底に差別があったり人情を理解できないのであれば僕には無価値な人ですし、学歴がなく貧しくても他者を思いやれる人のほうが僕にはよほど価値があります。
マジョリティマインドとの衝突
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
ここまで読んでくださったほとんどの方は、
「こいつはなんか難しそうな奴だなあ」
と思うと思います。実際に僕が読み返してみてもこんなやつとはお酒は飲みたくありません。
ですが、僕もずっと飲食サービスの人間でしたので一つだけ言い訳を言わせてもらうと、いろいろ考えていることはあれど、最終的には見せ方が全てなんだという認識は持ち合わせています。
つまり、受け入れられるようにまずは努力をしていますよ、ということです。
同じ考えを持っているのであればわかりやすいほうがいいし、見た目がいいのはもちろんです。
そこにはマジョリティのマインドがなければ判断そのものも付きません。さんざん自分自身の人生観を語っておいて、最終的にはマジョリティを受け入れているのです。
なんて矛盾を!というあなた。お叱りはごもっともです。
僕は自己に矛盾を抱えた人間です。でも、それでいいと思っています。最終的には気楽に生きていたいのです。
ずらずらと長いことを述べてしまいました。いろいろ僕のことに尋ねられることをまとめてみました。
これでも足りない、というあなたはよほど僕に執着があるのでしょう。
それであればいつかどこかであなたとお会いすることもあるでしょう。
そのときに、いろいろお話ししましょう。
2014年12月30日 前場亮