反戦ムードと終戦記念日

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ここ最近、安保法案関連で若い世代の方が国会周辺でデモをするニュースをよく見ます。

 

いろいろ意見はあると思いますが、僕自身はデモに参加するのではなく、日々の生活を自分の出来る範囲でしっかり生きることが大事だと思っているので参加はしていません。日常から意識していればそれが一番だと考えています。

政治の話や平和の話は、例えば日常の話としてしまうとダサい、重い、堅苦しいとなってしまいますが、多少なりとも勉強した身としては避けて通ることはできません。時には面倒くさいやつになることも大事だと思っています。

 

デモに参加している人も、デモだけではなく、普段からできれば話題にしてもらいたいと思います。まだ議論は成熟していないとおもうし、議論が浅いうちに社会運動ばかりが独り歩きすると、最悪な場合、社会運動がファッションになってしまいます。

ファッションは流行に左右されやすいので社会運動がファッション化した場合、時として間違った方向に流される可能性を秘めています。そこは若い世代の方たちも片隅に置いておいてほしいと思います。

 

 

 

 終戦記念日はなぜ8月15日?

この時期になるとニュースが増えて必ず感じるのが、戦争に関することです。広島長崎の原爆や終戦記念日が控えていますので当然ですね。戦争は、絶対に嫌です。

 

 

 

 

一つ、疑問なのが、終戦記念日の定義です。日本では8月15日が終戦記念日とされています。

 

ですが、この日は玉音放送といって昭和天皇によって日本が降伏したことを周知させた日なのです。

(日本は終戦の年の7月に無条件降伏することを要求されていました。これをポツダム宣言といいます。そして日本は8月14日にポツダム宣言を受け入れる旨を相手国側に通知し、8月15日に国民に周知させしました。)

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戦争は国と国のケンカです。ケンカといえば聞こえはいいかもしれません。実態は殺し合いです。

相手のことを「殺そう」と考えているひとが、相手が降伏したからといって攻撃の手を緩めるでしょうか?僕はしないと思います。戦争のような非人道的な行為をしておきながら終了させるときは人道的な行為を求めているのです。

 

 

僕は、日本が8月15日を終戦記念日としているところに、「自分が降伏すれば相手は攻撃の手をやめてくれる」という甘えと主観的な思い上がりを感じるのです。

厳しい意見ではありますが、相手国側の提案(ポツダム宣言)に乗った日を終戦記念日とするのではなく、相手国との終戦契約が結ばれた9月2日を終戦記念日とするのが国際的な一般論です。

自立した国として、天皇が玉音放送した日よりも、国際社会なのですから終戦契約を締結した日のほうが終戦記念日になじむと思います。

 

みなさんはどう考えますか?


当ブログ運営 前場亮のご紹介


1973年7月11日生まれ
行政書士前場亮事務所と株式会社ワインブックスの代表をしています。


2014年まで西麻布で飲食店を経営。
ワインも得意で第3回キュヴェ ルイーズ ポメリーソムリエコンテストで全国優勝しました。

行政書士の専門分野は風営法・航空法・道路法です。
これらのすべての分野で影響力のあるサイトを運営しています。詳しくは

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モノを所有すること、保身、名誉が嫌いです。

行政書士 前場亮事務所
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